真っ青な空に白い一筋の飛行機雲は、今日、地上からのメッセージを乗せて天国へ届けと言っているように見えました。
3月11日。10年前の14時46分。
多くの命を奪った東日本大震災と大津波の映像を見るたび、被災者の声を聞くたびに、胸が締め付けられます。
そして、東京電力福島原子力発電所の水素爆発から始まって3基がメルトダウンという大災害は、今なお帰還困難区域になって故郷を追われた人たちの声をテレビで見るたびに、被災の当事者でなくても原発への憤りは常にあります。
地震が起きた時、私は東京にいて、スーパーでの買物から帰る途中でした。
激しい目まいがし、立っていられなくて道にうずくまって、見上げると電線が大きく揺れていて、道にいる人たちが地震と言っていたので、ああ、目まいでなく地震だったんだと初めてわかりました。
アルジはその時、今住んでいる富士見に行っていて、ホームセンターで激しい揺れに合いました。
アルジから電話があったのは夕方だったかな? 東京へ帰ってくる途中で、高速道路が通行止めになっている箇所を教えてという電話でした。
それから来る日も来る日も、テレビで非情な自然の猛威と、悲惨で残酷な光景を目にしていました。
その後、福島から避難してくる人たちが調布市の味の素スタジアムに大勢やってくるということで、当時、協力を呼びかけられていた衣類を少し持って行った記憶があります。
震災関連死を含む22,200人の生きたかった命のことを思うと、いつも神妙さを忘れている自分に対して、日々ちゃんと生きていかなければと思いを起こす日になります。
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座り心地良さそうな椅子。
あの日から6年。
5年前の3.11。
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