年輪を重ね、薪になって灰となる木の人生。

昨日は雨でできなかった薪割りを続行。やってもやってもキリがないので、一昨日と今日の2日間の作業でとりあえず今年は終了します。

薪割りをしていて思うのが「木」の人生。木にはそれぞれ性格があり、自然の中でのその成長過程を想像すると、なかなか面白いものがあります。

私は木の詳しい知識を持っていませんが、カラマツ、アカマツ、白樺、ナラ、桜、その他広葉樹それぞれに木質、木肌の色に特徴があり、そこに木の生れの違い、育ちの違いを見るようです。

たとえば玉切りした木を薪割り機に載せてハンドルで押していくのですが、パキッと気持よく縦に割れるものもあれば、歪に割れたり、ひねくれたように抵抗してなかなか割れないもの、節が邪魔をして変なところから割れるものなど、風雪5年、苦節10年どころではなく、30年、50年、80年という年輪を重ねて来た木の人生が、その割れ方に見えます。
大きなものとなると直径が40cmにもなるので、かなりの長寿。



こうして「木」の最後が薪になり、私たちの冬の生活に暖をくれて薪ストーブで灰となる。
なんとなく人間と似ているなと思いながら薪づくりに励んだ2日間でした。
まだまだ玉切りは山となって置いてあります。
薪割りは、また来年のお楽しみ?


 

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