「神様が全部ご存知」と。

夕方、いつもは車で通る八峯苑鹿の湯までの紅葉の道をアルジと久しぶりにウォーキングしました。



モミジの落葉が道に溜まって風情あります。


たまに歩くと3人の友人に会いました。
行きはワンちゃんを連れた友人と。
帰りは3、4年ぶりにアメリカ人の友人と。彼女はこの近くでペンションをやっています。

そして車で通りかかった友人に。
ウォーキングの往復の道でこんなことあまりないのですが。




 

日曜の今日は、原村の八ヶ岳中央高原キリスト教会で召天者記念礼拝があり、弦楽四重奏団ユバルも演奏させていただきました。

私の両親は故郷の萩の先祖代々のお墓と、居住した福岡市内の、教会の墓地に一緒に納めています。
両親は敬虔なクリスチャンとして恵みの日々を過ごし、召天しました。

母が言っていた私の心に残る言葉をよく思い出します。
その1つに「神様が全部ご存知」と私によく言ったものです。
理不尽なこと、不公平なこと、怒りや悔しいと思った時などに私が愚痴ったり、不平不満を母に言いつけたりした時、決まって母は言いました。
「神様が全部ご存知、いつもご覧になっている」と。
私を慰めるわけでもなく、すべてを神様に委ねていれば間違いない、大丈夫と言うように。


母だって長い人生、人として時に迷いや悲しみや怒りを持った時もあったはずですが、私から見ればそうやって穏やかな心でいた母です。
今日の召天者記念礼拝で、そんなことをまた思い出しました。

私も「神様が全部ご存知」と思いたいのですが、俗世間の中で、まだまだ人間が出来ていません。

 

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