姥捨の由来。

長野自動車道の姥捨は何回か通過したことがあるのですが、今日はその姥捨を、友人夫婦と4人で訪ねました。

姥捨といえば、姥捨山。そう、口減らしのため、年老いた親を、子が背負って山に捨てに行くというあの姥捨山の姥捨です。そのくらいの知識しか知らない私でしたが、実は深い話があるのでした。

JR篠ノ井線姥捨駅に、姥捨の由来となったそのストーリーが解説してあって、読んだアルジがあとで、かいつまんで教えてくれました。

以下がその詳しい内容です。

ただ1つ、この話を紹介してくれた人からは、60歳になったら捨てられると聞きましたが、インターネットで調べると紹介文には70歳とありました。

この10歳違いの差は大きいのですが。それはいつかゆっくり調べて、あとで訂正することにしましょう。

 

『昔、信濃の国に年寄りの大嫌いな殿様がいた。彼は、70歳になった老人は山へ捨ててくるよう国中におふれを出した。ある月明かりの夜、一人の若者が年老いた母を背負って山に登って行った。彼の母親は70歳になったので山に捨てなければならなかった。

しかしいざ山に登り、捨てるという時に、どうしても捨てることが出来ず、そのまま母を背負って山を下り、こっそり床下に穴を掘って母をかくまっていたのである。

さて、そのころ、殿様のもとへ、隣国から使者がやって来て「灰で縄をなえ、九曲の玉に糸を通せ、さもないと国を攻める。」という難題をもちかけてきたのである。困った殿様は、おふれを出し、この難題を解ける知恵者を探し求めた。

これを知った若者が、床下の母に尋ねると、母は塩水にひたしたワラでなった縄を焼けばよいこと、玉の一方に蜜をぬり、その反対側から糸をゆわえたアリを通せばいいと教えてくれた。若者は、さっそく殿様に申し出て、この方法を知らせたのであった。

すんでのところで国難を救われた殿様はたいそう喜び、若者にほうびをとらせようとした。

「なんなりと申すがよい。ほうびは望むままに進ぜよう。」「ほうびはいりません。ただ、老いた母を助けてください。実は、この知恵を授けてくれたのは、70歳になった私の母です。」若者は、涙ながらに母親のことを打ち明けたのである。

国難を救ったのが老婆の知恵であると知った殿様は、いたく感銘し、この時はじめて老人を大切にすべきことを悟ったのだった。むろん姨捨のおふれはほどなく廃止されたということである。』

 

 

もちろん、初めて知ったストーリーでした。親を捨てなければならないという不条理だけでなく、深い話があったという訳です。

 

姥捨は棚田でも有名でした。「日本棚田100選」に選定され、曇り空の下、姥捨駅から眼下に善光寺平の風景が広がっていました。棚田の数は2000枚もあり、名月の時は、棚田の水に月明かりが光って幻想的だそうです。

 

高いところにある姥捨駅に、ちょうど電車が来て、スイッチバックで駅を往復して行くのが見られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




コメント

タイトルとURLをコピーしました