アメンボ追った少女時代。

小学生の夏休みはいつも萩市の母の実家に遊びに行っていました。鹿児島本線で博多から、関門海峡は門司から下関まで船に乗り換え、また山陰線に乗るという旅程。やがて関門海峡にトンネルができて船に乗り換える必要はなくなりましたが。

煙の出る蒸気機関車がいくつものトンネルに入る直前に汽笛を鳴らせば、開けていた窓を急いで閉めるというのを繰り返していました。少しでも閉めるのが遅れようものなら、大きな黒いススが目に入ってゴロゴロ。涙と一緒にススが出ていくという具合でした。

蒸気機関車での当時の旅は、旅先に着くとまずは鼻の穴を掃除したものです。チリ紙と言っていた今で言うティッシュペーパーを鼻の穴に突っ込んでみるとススで真っ黒になりました。

母の実家は萩焼の窯元で、田舎のことですから小高い山あり谷あり、その自然は無限のようで、福岡市内の社宅住まいの子供にとってはワンダーランドです。

陶芸工房の横に小さな小川が流れていました。沢の水は1.5mほどの高さから流れてきて小さな緩い滝が流れ落ちます。当然、ここでは水遊び。ミズスマシ、アメンボも一緒になって泳ぎます。水の上を歩くアメンボを捕まえようとしますが子供の手には負えません。その横では、祖母がスイカや黄色いマクワウリを冷やしていた夏の情景です。

今日見たその小川の水量はわずかですが、それでも水が流れていることにホッとしました。当然のことながらミズスマシもアメンボも、遠い昔のこと。

 




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